6/25 (土)14:13~

Google 川島優志氏スペシャルセミナー(後編)

■後編

2011年6月25日「神戸電子専門学校」ソニックホールにて

あの“世界の”Google社で、アジア太平洋地域のウェブマスターを務める川島優志氏。セミナーでは、Googleとはどんな企業か、Googleでの川島氏の仕事内容、そしてGoogleに入るまでの“型破り”人生について、大いに語っていただきました。その全編をレポートいたします。

●学生時代

川島:皆さんは、これから就職をしたり、仕事をしたりすることについて、真剣に考えているのだと思います。どうやったら自分の望んだことができて、望む仕事を見つけ、望む会社に入り、頑張れるのかと。僕は今Googleという会社で働いて、偉そうなポジションに収まり、いろいろ好き放題やってるのは、どうしてなんでしょうか? そういう話を今日はしたいと思います。

僕は一浪して早稲田大学の当時の第一文学部に行きました。文学部に入ったのは、高校時代に校内の雑誌の作成をたまたま経験したことからです。雑誌を作るのがすごく面白くて、こういうクリエイティブな仕事したいなと思って、早稲田大学に入学しました。

入ってすぐに、100万くらいのローンを組み、当時はまだ高かったMacを購入しました。Photoshopや当時あったQuark Xpressっていうものやプリンターを買って、DTPが出来る環境整えたんです。で、買ったはいいけれども使い方が分からないので、デザイン会社の門を叩いてフリーペーパーのバイトをしながら使い方を一生懸命に覚えました。

大学に入ってしばらくした頃に、うちの学園祭が中止になってしまったんですね。そうなると文化系のサークルが、すっかり発表の場を失ってしまう。そこでCD-ROMを作ろうと思ったんですね。その当時CD-ROMは、出始めの最先端みたいな感じで。演劇もバンドの演奏も、映画や写真も全部詰め込んだすごい作品を作りたいなと思って、仲間を集めました。

(下宿の写真を見ながら)

川島:大学から歩いて30秒ぐらいのところに下宿を借りて。デジタルトキワ荘みたいな感じですね。だらだらとここで寝たり起きたりしながら、いつも誰かがいて何かしているっていう不思議な空間でした。

(全身真っ赤な写真を見ながら)

川島:昔はこんなふうに髪の毛も赤くしたり。当時、一緒に色々作ったメンバー、例えばZynga Japan山田進太郎だったりとか、横須賀市長になった吉田雄人とか、僕の見た秩序のヨシナガとか、結構みんな大成功してますね。でも当時はただの学生で。

完成したCD-ROMは、すごく出来が良かった。それで、いっそ早稲田祭を知らない新入生には無料で配っちゃおうと思って。仲間たちで、学生ローンに行ったり人に借りたり色々な方法で借金してお金を集めました。それで無事、新入生に無料配布することができたんです。当時学生としては日本初だということで新聞にも取り上げられました。

ただ、借金を返すのがもう大変で。フリーランスとして働いてお金を返していこうと思って、僕は大学を中退しました。まぁ、CD-ROMが僕にとっては卒業制作みたいなものですね。当時は新聞に載って評価されたこともあって、色々な仕事が来ました。Microsoftのウェブサイトなんかも作りました。

そういう仕事をしてたら、ふとインターネットの中にあるものって全部アメリカから来てるな、と。例えばMicrosoft、Apple、IBM、全部アメリカです。アメリカって一体どんな国なんだろう、このままだとイタリアを見ずにパスタを語るようなものなんじゃないかと思って、渡米しました。

●渡米

川島:最初に行った所は、シリコンバレーに近いサンフランシスコですね。アメリカでは僕はもう全くゼロからでコネもないし、ただの思いつきです。

泊まるところも決めてないから、空港で見つけたバスに乗って、終点で降りてそこにあったホテルに泊まりました。英語は全然わからないんで、ホテルでYeah, oh, yes! みたいなこと言って、次の朝起きてみたらドアに600ドルの請求書が挟まってたという。これはまずいと、急いで安い宿を探しました。

あと、ビザも知らなかったんです。僕は旅行者ビザっていうので入ってるってことも知らなくて。俺はもう成功するまで日本の土は踏まんと言って出て来たのに、いやいやいや、3ヶ月で旅行者ビザ切れるし、帰らないと不法滞在だから、と言われて。とりあえず語学ビザが一番早いんじゃないかというふうに言われて、安い語学学校に入るため、ロサンゼルスに飛びました。家賃2万5千円の、お化け屋敷みたいな部屋を見つけて住みはじめます。

(当時の部屋写真を見ながら)

川島:何とか掃除して、こんな感じでした。でもしばらくすると、お金がなくなるわけです。しかも、別に語学学校に来るためにアメリカ来たんじゃないよなと思い至るんですね。

●起業

その会社で「CHUSHA」という、ロサンゼルスの駐車情報を網羅したマップを作ったら、とても好評で。向こうの新聞や雑誌でも取り上げてもらったりしました。でも労働ビザなしでは続けるわけにもいかず、にっちもさっちもいかなくなった時に、そのマップを印刷するために関わったデザイン会社から声が掛かります。

●就職、そしてGoogleへ

川島:そこはクライアントが充実したデザインプロダクションで、NASAとかワーナー・ブラザーズとか、日系ではSUZUKIとかANA、SANYOなど、すごく多くの大企業と仕事をする機会がありました。

よく英語ペラペラなんでしょって言われるんですけど、全然そんなことないんですよ。僕を雇ったマネージャーに「お前が面接に来た時、俺はお前が何を言ってるのかサッパリわからなかった」って言われたんです。全然通じてなかった。そう言われて傷付いたけど、英語なんてそんなもんってことです。喋れないから行かないとか、そういうもんじゃないんですよね。

その後、大学時代の友人の紹介でGoogleに繋がることになります。Googleは当時、全米で働きたい会社2年連続で1位だったりして、どうやってGoogleに入ったのかとか言われるんですが、僕の場合はアメリカでの経験、あと日本で作った仲間。それを認めてくれる文化とか、その全部がうまく繋がったのかなと思います。

●未来は作るもの、風向きは変わる

川島:こうして見てみると、僕がいかに計画性がないかというのがよくわかると思います。でもまぁ何とかなっちゃうわけですよ。世の中って結構こういうところがあって、未来なんて誰にもわかんないんです。

誰が20年前にTwitterの予測をしていたでしょうか。GoogleやYoutubeも出てそんなに経たないですが、今やみんなが知っているサービスです。ITの世界に限らずもう緻密な未来設計を立てていても、災害ひとつで崩れ去る。こういうのが世の中です。世の中は本当に混沌としていて、何が何やらわからない。じゃあその中でどうしていったらいいのか。

結局はまず動くことです。自分の頭の中で計れる世界っていうのはたかが知れていて、風向きなんかもほんのちょっとしたことですぐ変わるんですよ。あれこれ考える前に、まず今やれることを不安を恐れずに動く。やりたいことをやる。そういう人がまだ見ない未来を作っていけると思うし、企業もそういう人が欲しいんじゃないかなと。少なくともうちの会社はそういう人を欲しいと思ってます。

●踏み出せば、なんとかなる

川島:この中にもやりたいことがあっても躊躇している人がいるかもしれない。就職した方がいいんじゃないかとかね。だけど本気でやればきっと何とかなると思う。適当なこと言ってるように聞こえるかもしれないですけど、僕が実際そういうのは体験してます。みんなが通ってる道から踏み出さないと見えない景色っていうのがあるんですね。例えば就職氷河期だからこそベンチャーがいっぱい生まれたりしました。GREEもmixiもそういうところから生まれたりしています。何がどう転ぶかっていうのは本当わかんないですね。

●失敗を楽しむ

川島:私が言えることは、たくさん失敗しなさいということです。例えばハリー・ポッターの作者のJ.K.ローリング。あのハリーの原稿を彼女はなんと9社(一説には12社という話もある)に持込みました。でも、ことごとく断られたんですね。普通は3社くらいでめげる。でもそれで彼女が諦めてたら、ハリー・ポッターシリーズはないわけです。で、9社目でもしかしたらって言われて出版されるわけです。彼女ですら、そんな打率だった。君の打率はどれくらいでしょう?
1割打者でも10回打席に立てば一回は打てるかもしれない。1割もないかもしれない。それでもとにかく打席に立つこと。失敗したから実力がないわけではない。

だからたくさん作って失敗をたくさんする。で、失敗を楽しむ。こういうのが成功につながっていくのかな、と思っています。「運」というのは「運ぶ」って書くんですけれども、文字通り誰かが運んで来てくれるんですね。人がたすけてくれたり、運んできてくれるものは計り知れないんです。それ抜きでは成功は多分ありえないと思う。全力で粘り強く取り組んでいると、とんでもないところから(運が)降ってきたりします。

●自分だけの景色

川島:僕が言いたいのは、皆さんどうか道を踏み外すことを恐れずに、自分の好きなことに全身全霊で取り組んで下さい。就職活動とか考えなくていいんです。誰かが固めた道なんかよりも自分を信じて、自分の道を踏み出して自分だけの景色をこれから見ていってもらいたいなと。

大人たちは、未来の展望を暗いなんて言います。これから日本どうなるんだろうなんて。でもそういう大人達の予想なんていうのはね、まぁ当たらないんですよ。そんなね、当たったらノーベル賞もんですよ。本当はそういうものじゃない。何が起こるかわかんないし、それを変えていく力が君達にはあると思う。

この話を聞いた人が1人でも、未来を変えていってくれたら、僕が今日ここまで来た意味も生きてきた意味もあったのかなというふうに思っています。皆さんのことを応援していますので、頑張ってください。

【川島優志/Masashi Kawashima 】

Google シニア ウェブマスター&アジアパシフィック マネージャー

1976年横浜生まれ。早稲田大学在学中からマイクロソフトなどのウェブサイトをデザイン。その後中退し2000年より渡米。ロサンゼルスでのデザインプ ロダクション勤務を経て、Googleに入社。2007年に帰国。米国人以外で初めてホリデーロゴをデザインした。2009年より現職。アジア太平洋地域 のウェブマスターを統括している。

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