『ファイナルファンタジー』シリーズの作曲家 植松 伸夫氏が語る、これまでの人生経験・音楽経験

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2020.01.15

2019/9/7(土)、『ファイナルファンタジー』シリーズの作曲家 植松 伸夫氏によるサウンドセミナーを開催しました。2部構成で行われた今回のセミナー。植松氏の幼少期から音楽に出会いスクウェアに入社するまで、さらに『ファイナルファンタジー』とその音楽制作の裏側がざっくばらんに語られました。

音楽との出会い、そしてスクウェアに…

第一部では、スクウェアに入社するまでが語られました。小学校4年生の頃、姉と行ったウィーン少年合唱団のコンサートに衝撃を受けたと言います。「“音楽ってすごい”と涙が出るほど感動した。音楽に対する原体験と言えますね」。中学、高校では、ラジオから流れる音楽を録音しては聴きまくっていたそう。漠然と音楽の道を意識したのも、この頃だと言います。
実家を離れ神奈川の大学へ進学し、ミュージシャンに憧れライブする日々。同時に当時出たばかりのマルチトラックレコーダーとシンセサイザーを買い、一人で音楽制作をはじめます。「ずっと独学で音楽をやっていましたが、初めてコンテンポラリーキーボードスクールでジャズ理論とシンセサイザーの使い方を学びました。さらにそこで講師として教えるようになったことで、知識や経験が理論立てて整理され、確固たるものになりました」

大学卒業後は就職せず、バイトをしながら作曲を続けます。「アルバイトのほかに講師も続けていて、食べるだけなら苦労はなかった。明確な目的もなく過ごしていたある日、ふと、これでいいのか?と、不安になった」。すぐに行動を起こしCM音楽作曲家募集の広告を見つけ、毎日、デモテープを制作して送り続けたそう。「人間って、何もしなければ昨日と同じことを今日もやるし明日もやる…。自分から動き出さないと何も変わらないと思ったのは、この時です」。自分の行動が変わると不思議と周囲も変わってきたそう。「カメラマンや作家を目指す芸術家の卵のような仲間が集まるようになって、経験も知識もないのに芸術を語り合ってましたよね。仲間の中に、ゲームを作っているという人がいて、その人を通じてスクウェアに入社することになったんです」

失敗は財産。若いうちは全力投球で

植松氏がスクウェアに入社した当時は、まだ社員数も20名程度、20代の若者たちが情熱だけでゲーム作りをしているような会社だったと言います。「ゲーム音楽と言っても、ファミコンの時代。電子音3音しか鳴らせないし、画面もドット絵でしょぼい。だけど、絵で語りきれないところを音楽で表現しないといけないから、メロディーで語るようになったんですね」と振り返ります。「昔のほうが、ゲーム音楽は個性があったな。制約があるからこそ、作り手は自由を探して知恵を働かせていたんだと思いますね」。

『ファイナルファンタジー』の制作は、実は解散の危機の中で立ち上がったもの。当時まだ大学生だった坂口博信さんが、最後にもう一本だけ作らせてほしい、と言って作ったのがFFだったそうです。「ゲームで映画のような感動を表現したいという思いで完成させて、坂口さん自らゲーム雑誌の編集部に売り込みに行くなど、常に全力投球でした。いいゲームを作ったからそれでおしまいじゃなく、覚悟があるかどうか、この真剣さってすごく重要です。全力投球であるほど失敗した時の痛手は大きい。大きいけれど、その失敗が財産になります。だから、若い皆さんには、全力投球でいろんな失敗をしてほしい。必ず強くなるし成長しますから」

植松氏の人生の決断や選択を通して、これからの生き方に生徒たちがそれぞれ自分なりのヒントを見つけられた今回のセミナー。最後に、「傷ついても立ち直れる若いうちに、決断する勇気を持っていろんなことに挑戦してほしい」と、応援メッセージで締めくくられました。

講演者プロフィール

作曲家
株式会社ドッグイヤー・レコーズ代表
有限会社スマイルプリーズ代表 植松 伸夫氏

『ファイナルファンタジー』シリーズをはじめ、数多くのゲーム音楽を手がける。『ファイナルファンタジー VIII』のテーマ曲『Eyes On Me』は1999年度 第14回日本ゴールドディスク大賞でゲーム音楽としては初の快挙となる「ソング・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)」を受賞。海外での評判も高く、「Time」誌の”Time 100: The Next Wave – Music”や「Newsweek」誌”世界が尊敬する日本人100人”の一人に選出される。近年では日本国内をはじめ世界各国でオーケストラコンサートや自身のバンド”EARTHBOUND PAPAS”によるライブイベントを開催。

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